平和な家庭シリーズ(1)
夫婦の関係が平和な家庭の土台
西舞子バプテスト教会 牧師  表 博之
いじめ、少年の凶悪犯罪、さらには児童虐待と、子供の育児・成長と関係する事件が連続して起こっています。経済的な問題以上に社会にとって、より深刻な問題ではないでしょうか.
これらの問題の発生も解決も家庭生活と深く関わっています。

毎日の新聞に登校されている人生相談の大半も、「夫婦の問題」です。夫の「暴力」「賭け事」「浮気」等々による離婚相談がほとんどのように思われます。そのような状態で女性が「子供のことを思って決断ができない。どうしたらよいでしょう。」との相談。

一般的カウンセラーは、「暴力」による生命の危機、女性の経済的自立の可能性などを考慮して、離婚を勧めることが少なくありません。このままでは現代世界のどこの社会においても、イージーな離婚による家庭崩壊がますます増加していくでありましょう。

どんなに人間に役立つ科学技術が発達しても、家庭が平和にならなければ、人は幸福な人生をおくれません。夫婦間で問題が起こり、第三者に相談しなければならないほどになると、本当にその解決は難しいものです。夫や妻の一方に100パーセントの問題の原因があるというのは、真実ではありません。いずれにしても、責任はあります。しかし、一方の行動によって、生命の危機などが関係すると緊急避難の必要もあるでしょう。できれば、結婚前に正しい家庭生活について学ぶことです。また、問題が生じても、夫婦で聖書が教える原則を学び、実践するなら解決へと向かうことができます。

聖書が教える家庭の土台は、夫婦関係です。親子関係ではありません。神様が女性をお造りくださった第一の目的は、夫の助け手としてでありました。夫と妻とは、離すことのできない一心同体なのです。

この一体(ヘブル語でエハッド・神の唯一《統一》を示す)と同じ言葉が使われているように、強く、深いものです。子供は、いずれ両親から自立していかねばなりません。若くても、夫婦は、最終決定権を持っている者として、互いに助け合い、相談し、責任を持って行動していく関係を、日々の生活の中で高め、強めていかなければなりません。

夫は、母や子供との関係よりも、妻は、両親や子供との関係よりも、「夫と妻」との関係を大切にしていかねばなりません。
「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、二人は一体となるのである。」夫は、母や子供との関係よりも、妻は、両親や子供との関係よりも、「夫と妻」との関係を大切にしていかねばなりません。

「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、二人は一体となるのである。」  創世記2章18節

イエス様に出会って

住谷 裕弘兄
1999年の夏、マンションの一室を借りてもらって、集中して聖書の学びができたときのことは、今、さわやかな思い出となっています。それまでマンションで生活したことがなく、意外と心地よく感じたせいということもありますが……。
このとき、私は、約5年間の『エホバの証人』をやめ、クリスチャンとなりました。

エホバの証人となるには、エホバの証人との学びのときを持たなければなりません。私もその学びをしたわけですが、ある集会で、彼らの作ったある歌に心動かされました。その歌は、ゆったりしたメロディーに、『真理に生き、信仰あらわせ、振る舞い良く心示せ、真理知るを』という歌詞がついてきました。

真実なことを見つめて生きていきたいと思っていた私は、この頃、この世界には創造者がおられ、聖書はそのお方に導かれて真実なことが書かれてあると確信しつつあるときでした。また、社会人となって、相手の腹を探りながら生きたら、きっと勝つだろうと思い、そう努めてはみたものの、ますます自分が寂しくなりそうな気がしていたときでもありました。

そのような状況で、この歌を聴いたとき、なぜか、創造者が僕を待っていてくれているような気になりました。「私は真理を知っている。それをすでに聖書に記した。その証拠もいろいろ示した。偽りは絶対言わないから腹を探らなくもていい。信じるかどうかは君しだいだ。」と。

その後しばらくして、私は、エホバの証人が聖書の教えを忠実に伝えていると確信するようになってしまいました。言い換えれば、エホバの証人の組織が創造主なる神の代弁者的役割をしていると思ってしまいました。

その大きな理由の一つは、彼らの出版物を読んで、彼らの主張は一般の権威書で裏付けられ、そして何よりも聖書(ただしエホバの証人によって翻訳されたもの)で裏付けられている……と勘違いしてしまったことでした。

そして、エホバの証人の一員となりました。

私の不注意でした。もし、彼らの引用している権威書を実際にひも解き、比べていたなら、彼らの引用のまやかしを見抜けていたかもしれません。

もし、彼らの聖書を原語のものと比べていたなら、かれらの翻訳上のまやかしを見抜けていたかもしれません。おかげで、私に、これらの事実を伝えるのに、家族や牧師に大きな大きなエネルギーを使わせてしまいました。エホバの証人の教えに従ってしまうと、これらの事実に目を閉じ、耳をふさいでしまうからです。

私は幸い、これらのまやかしを知ることができ、エホバの証人をやめました。その直後は、家族が用意してくれたマンションで生活を続け、仕事も休んで、牧師と新たな聖書の学びをしました。エホバの証人によって覆われていた聖書の実際の教えを徐々に知ることができました。聖書の教える真理を知るのに、神の代弁者的役割を演じるエホバの証人の組織など必要なく、イエス・キリストが『道であり、真理』(ヨハネ14章6節)であって、イエス様と自分との直接かつ個人的な関係こそ必要だ、と信じました。

2年前の夏、『まやかし』から解放されて、覆われていた事実を知ることができるようになり、本当に良かったと思います。でも、同時にエホバの証人として、伝道活動をして『まやかし』を広めるのに一役買ってしまった自分の負い目も感じます。

「…主ご自身の忌み嫌うものが七つある。… まやかしを吹聴する偽りの証人…」
(箴言6章16節から19節)